活動報告

2019/7/23 樺太視察7/23~7/26

2019.7.29

樺太サハリン視察

 

7月23日から4日間、樺太サハリンの視察に行ってきた。

まず、北海道の北に位置していることから、天気は悪く、寒く雪が深いために、経済活動ができる時期が、5月から9月までと北海道と同じように短い。そのため、道路工事等はこの時期に集中することから、行ってみたら、やたら工事中で、街を歩くにも困難であった。

人口は、1994年ピーク時で80万人いたが、現在では40万人と半減している。これは、北海道旭川市(38万人)とほぼ同程度である。また、1人当たりの平均賃金は、14万円程度である。この数字は、日本、韓国の2/3程度であり、経済的に厳しい。なお、2013年から米国、日本の投資により天然ガス、石油が発掘され、天然資源が豊富にあり、今後の経済が発展する可能性が高い。

樺太サハリンと日本の関係は、1905年日露戦争で北緯50度以南と千島列島が日本の領土となり、1945年の敗戦により、ソ連の領土となった。

もともと、樺太サハリンは、ロシアの流刑地であり極東の辺鄙な地であり、未開発の地であった。それが、日本の領土となった途端、日本は森林資源に着目し、製紙工場を9カ所開設し、戦前は、経済が復興していた。その労働力として、日本人をはじめ朝鮮人が来た。

その当時、1944年には日本人・朝鮮人が40万人程度居住していたといわれ、現在の樺太サハリンの人口ほど居住していたこととなる。

しかし、敗戦により、日本人は米ソ協定により帰国できたが、朝鮮人は、その協定には適用ならず、ソ連の思惑として労働力欲しさのために朝鮮人の帰国は認められなかった。そのために日本統治から在留していたサハリン在樺韓国人3万人、戦後北朝鮮から入国していたサハリン在樺北朝鮮人1万人ほど居住していたといわれている。

今回の視察にガイドとしてアテンドしてもらった叔母さんも1940年生まれの在樺韓国人であり、日本語、朝鮮語、ロシア語が堪能な人であった。その苦労話を聞くと、兄弟が6人おり、日本統治には親は炭鉱で働き貧しく、戦後まもなく、お父さんは炭鉱事故で働けなくなり、お母さんは闇市場で物を売っていたが、ソ連の警察に捕まり、悲観して自殺したという、とても聞くに堪えられない苦労をしたとのことであった。今では、兄弟は、ロシア人と結婚したりして、平穏な生活を享受しているとのことであった。


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